Old Palece Sight (宮跡)
桜井にあった宮跡
-歴代天皇ゆかりの地-


 我が国の宮(みや)は、神話によると高天原(たかまがはら)がその始まりであり、第一代天皇と伝えられる神武天皇の橿原宮以降奈良には多くの宮が造られて来ました。
桜井にも13ヶ所の宮があったといわれています。このコーナーではその宮跡を紹介していきます。
皆さんもいにしえの栄華に思いを馳せてみませんか?

神浅茅原
かむあさぢはら
 邪馬台国の卑弥呼といわれる倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)を祭った茅原の神御前神社(かみのごぜんじんじゃ)周辺がその宮跡といわれています。
瑞 籬 宮
みつかきのみや
 最初に倭国を統一した御肇国(はつくにしらす)天皇といわれた第10代崇神(すじん)天皇の宮。金屋の志貴坐御県(しきにいますみあがた)神社の境内に宮跡の碑があります。
珠 城 宮
たまきのみや
 第11代垂仁(すいにん)天皇が纏向(まきむく)に営んだ宮で、この時代に有名な相撲発祥の取り組みが行われたといわれます。桜井市穴師。
日 代 宮
ひしろのみや
 第12代景行(けいこう)天皇の宮。「朝日の照る宮」と歌われた宮跡からは景行天皇陵を望むことができる。景行天皇はヤマトタケルのミコトに東国遠征を命じたといわれる。桜井市穴師。

若 桜 宮
わかざくらのみや
 神功(じんぐう)皇后[第14代仲哀天皇の皇后]が営んだ宮。神功皇后は天皇の崩御後、巫女王として活躍したといわれます。桜井市谷の若桜神社周辺。
稚 桜 宮
わかざくらのみや
 第14代履中(りちゅう)天皇が営んだ宮。磐余の宮ともいわれ宴遊の催しのとき天皇の杯に桜の花びらが落ちたことにちなみ「磐余の稚桜宮」となったといわれます。桜井市池之内の稚桜神社周辺。
忍 坂 宮
おしさかのみや
 忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)皇后[第19代允恭(いんぎょう)天皇の皇后]が営んだといわれる宮。桜井市忍阪あたりと思われる。
朝 倉 宮
あさくらのみや
 雄略天皇が営んだといわれる宮。埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘に名前のある天皇で宮を斯鬼(しき)宮と記されている。桜井市脇本周辺と思われる。
列 城 宮
なみきのみや
 第25代武烈(ぶれつ)天皇が営んだといわれる宮。桜井市出雲周辺と思われる。昔の泊瀬街道に沿う十二柱神社の中に宮跡を祀った社や石碑がある。
玉 穂 宮
たまほのみや
 第26代継体(けいたい)天皇が営んだといわれる宮。桜井市池之内周辺と思われる。「オヤシキ」とよばれた地帯が宮跡といわれる。
金 刺 宮
かなさしのみや
 第29代欽明(きんめい)天皇が営んだといわれる宮。桜井市外山(とび)周辺と思われる。磯城嶋磯(しきしま)公園に金刺宮跡伝承地碑が立っている。
幸 玉 宮
さきたまのみや
 第30代敏達(びだつ)天皇が営んだといわれる宮。訳語田(おさだ)という地に宮はあったとされる。桜井市戒重の春日神社あたり。
双 槻 宮
なみつきのみや
 第31代用明(ようめい)天皇が営んだといわれる宮。用明天皇の皇子がかの聖徳太子。宮は桜井市阿部周辺。「磐余の池辺」といわれ、諸説分かれる。
倉 梯 宮
くらはしのみや
 第31代崇峻(すしゅん)天皇が営んだといわれる宮。蘇我氏が物部氏に勝ち、即位するが後に蘇我馬子に暗殺される。桜井市倉橋に崇峻天皇陵があるが、天王山古墳が崇峻天皇陵とする説が有力。

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