Inscription(碑文)万葉歌碑めぐり



碑番号(23-1,2)
巻一の1 
雄略天皇
書・保田與重郎(評論家)
 

(23−1)万葉集発燿讃仰の碑

(23-2)
こもよ みこもち ふくしもよ みふくし持ち  この岳に 菜摘ます子 家のらせ 名のらさね
そらみつ倭の国は おしなべて われこそをれ  敷きなべて われこそませ 我をこそ 背とはのらめ  家をも名をも


(こもよ みこもち ふくしもよ みふくしもち このおかに なつますこ いえのらせ なのらさね
そらみつやまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそませ われをこそ せとはのらめ いえをもなをも)



(歌の大意)
籠も良い籠を持ち、へら(掘串)もよいへらを持って、この春の岳で菜をお摘みになっている娘さん。 あなたの家はどこかききたい。さあ言いなさいよ。
この天が下の大和の国は私が押し並べており、私が統べ治めているのだよ。 さあ、あなたも私に教えて下さい、あなたの家も名も。

白山神社境内

碑番号(21)
作歌者−雄略天皇
書−平沢 興(元京大総長)
碑番号(22)
作歌者−柿本人麿
書−堀口大学(詩人)
 
碑番号(23-1,2)
作歌者−雄略天皇
書−保田與重郎(評論家)



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